かのルーブルやオルセーを差し置いて、まず足を向けたくなるのは、レ・アールにあるポンピドゥー・センターだ。
レンゾ・ピアノとリチャード・ロジャースの建物と対峙した時、建築物の概念が何処かへ行ってしまう。美術館はこう在りたいといった既成概念が吹っ飛ぶのだ。と同時に色彩の調和と違和、同時代の色彩に目つぶしを食らう。建物のはらわたが全部表に出ているので、初めて病院で血管だらけの人体模型を目にしたような強烈な刺激をうける。
しばらくは正面のポンピドゥー広場から、工事現場のようなむきだしのエスカレーターに見とれる。ままこのエスカレーターに作品がぶら下がっていたりする。ある時は日本の前衛作家による小さなバラックがいくつもぶらさがっていたし、ある時は何本もの綱が存在を主張していた。ゆるい傾斜のこの広場は、寝ころんだ恋人たちから辻音楽師、物乞い、インチキな土産物売りまで、あらゆる人々の暮らしの広場にもなっている。
美術館は11時から21時までやっているが、木曜日は23時まで開いている。日本のような5時閉館とか、遅くても7時までといった規律はない。昼間は学生と旅人、そして観光客、夜はパリに暮らす大人たちと恋人たちのために、と文化装置の役割がしっかりと存在する。
ムンクも、草間彌生も、マイク・ケリーも、みな夜劇場に行くような感覚で、ポンピドゥーで見た。
いくつかの企画展と常設展から、見たいものをこなした後は、隣のストラヴィンスキー噴水へ行く。池にあるオブジェが楽しい。肥ったポップな伯母さんが回っている。巨大なクチビルからは水が出て挑発している。アヒルもいれば、クラシックな自転車も回っている。極彩色の動くオブジェを前にして、子供達は無邪気に遊んでいる。噴水の向こうには最新の音楽・音響スタディオがある。
噴水に望むカフェのテラスは、芸術的ゲイのたまり場になっている。
ポンピドゥー・センターには刺激がある。
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プロフィール
星野 和彦
Kazuhiko Hoshino
1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表
作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞
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