ポンコツ議員集団都民ファーストの会

by

in

ポンコツ議員集団都民ファーストの会
 55人の小池チルドレンがテレビ画面に映し出された。
 人間としての存在感、魅力がこれほど乏しい集団は近頃珍しい。情けなくなるほどに頼りない。誰ひとりとして生活感のある人間はいない。この人たちが東京都の舵取りをするなど、恐ろしい悲劇だし、滑稽極まりない喜劇だ。この人たちに勝てなかった自民党の元職の人たちはどんなに酷い人たちだったのか。
 小池都知事に「録音されて困るようなことは喋らないでください。」政治家の名が恥ずかしい。当選後初めての集まりが「勉強会」では、開いた口がふさがらない。もともと政策の無い人たちなのだ、職のないプータローの集まりが、都民ファーストの会だといわれても反論できまい。
 週刊誌には早速「小池チルドレン」という名のポンコツ議員一覧なるものが掲載された。
 まず「DV体質の本橋弘隆議員」すでに本会議の議席変更を巡って、事務局職員を怒鳴りつけ、職員を卒倒させたという実績を誇る。「遅刻常習の森愛議員」時間を守らないのが、この人の政策、議会では遅刻することを「森愛する」といっている。「元女子アナの龍円愛梨議員」アナウンス技術の稚拙さからさっさとお払い箱になった。同じくフジ・テレビの「入江伸子はオジ殺しの超ブランド体質」アストンマーチンを乗り回す。「茜ケ久保嘉代子議員は華僑向けの占い師。そして「斎藤礼伊奈議員は大麻擁護の運動員」等々、國会2年生議員といい勝負の危ない議員のオンパレードなのだ。
 こうした人々を当選させた責任は、都民以上に小池百合子都知事そのひとにある。
 この人々に東京という日本の玄関を預けて大丈夫なのだろうか。
 選挙中の一か月だけ都民ファーストの会代表に就任し、選挙がおわったらさっさと辞任して、都民ファーストの会の責任者をおりるという行為は何だったのだろう。
 そもそも二元代表制だからという説明は、もっともらしいが、それならばこの一年を通しての都知事の行動は許されるのか、ほんとうに困った東京都だ。


コメント

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です


プロフィール

星野 和彦

Kazuhiko Hoshino

1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表

作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞


カテゴリー


月別アーカイブ