三越劇場を拠点に芝居をやっていたある日のこと、少女がやって来た。
小牧バレエ団でバレエをしているが、どうしても芝居がしたいという。 付き添ってきたお姉さんがとても美しかったので、皆で歓迎した。 それから40年の月日が経ち、突然ヴェネチィアの大運河に面したとあるホテルにいる時、電話がかかってきた。「ベニスにいるのなら、ニースまで来て」「いまは行けないけど、来春ニースでショウをするから…。」
彼女はかのサザビー創始者の子息と結婚し、ニースを見下ろす何万坪のシャトーに住んでいた。夏の家はここ、冬の家はあっち、お手伝いさんはあのファーマーズ・ハウスにいるの。夫はシャトー・ホテルやコートダジュールの別荘の設計が専門で、いまはモスクワに事務所を構えている。
その彼女から何故リヨンに来ないの、そう言われようやくリヨンを尋ねることにした。パリのリヨン駅から、TGVに乗りリヨン第二駅を目指した。ここ二年ばかり凝っている紅茶YUANの本店もリヨンにある。美食の都といわれるリヨンにはゆっくり行きたかったが時間がない。
トムとトミーは駅まで迎えに来てくれ,早速にリヨンの美食に連れて行かれた。ソーヌ川を越えて世界遺産の旧市街では、14世紀に造られた天文時計のあるサンジャン大司教教会や、絹織物の産地として発祥のジャガード織の機械、屋根のついた小路トラブールなどを覗き、中世の街を堪能した。
とにかく我が家まで、ということでついたのがボージョレ村の真ん中だった。
小高い丘に100メートルほどの幅でいくつかの小屋のある古い庄屋の家といった佇まいで、彼はモスクワとこの村を三週間置きに往復している。ボージョレでももっとも美味い葡萄のとれる丘だといっていた。来週は二人でイタリアまでトマトの苗を買いに行く。蛙とエスカルゴとザリガニはとても美味いと言われても、このイギリス貴族のふたりは、かなり浮世ばなれしている。
途中、人里離れた小さなシャトーの辻ぐるーぷフランス校なども見て、大急ぎでパリにかえってきたのは、夜の11時過ぎだった。ウィルソン家のトムとトミーには大感謝だが、もし再訪の機会があればボージョレ村のあの素朴な水場で足を洗いたい。
ボージョレ村の真ん中で
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プロフィール
星野 和彦
Kazuhiko Hoshino
1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表
作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞
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