ボリショイ・バレエの深い闇

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 世界でもっとも保守的といわているボリショイ・バレエ団で、スキャンダルが続々と持ち上がっている。
 もともとバレエの世界は、エゴイストとナルシストの集団といわれているが、この国家権力と結びついたボリショイバレエ団の凄まじさは、ほかに例をみない。
 21世紀初頭から、サンクトペテルブルクのマリインスキー劇場に水をあけられ、現在では白鳥の湖、眠れる森の美女、くるみ割り人形、シンデレラなど定番ものの上演しか見るべきものはない。ロイヤル・バレエ、パリ・バレエ、モンテカルロ・バレエなど意欲的な作品を次々に生み出しているバレエ團に対して完全におくれをとり、観光バレエ團にだしてしまつた。
 この現状を打破しようと、芸術監督に若手のセルゲイ・フィーリンを起用したが、顔に硫酸を浴びせられ、配役をめぐるスキャンダルが、表面化してしまった。映画ブラック・スワンを地でいくような妬みと嫌がらせの内情が暴露され、反対派はプーチン大統領に請願書を出すところまでいっている。
 追い打ちをかけたのは、かってのプリマ アナスタシア・ボロチコワによるドイツでの記者会見。「私たちは、パトロンの富豪たちと「寝る」ことを強要されました。普段はコールド・バレエの女の子たちが中心でしたが、ソリストも例外ではなかったのです。パトロン達とのディナー・パーティのあと、セックス・サービスをさせられました。悲しいことにあのイクサノフ総裁は、バレエ團を巨大な売春窟に貶めました。」と衝撃の発言をしたのです。
 売春と同性愛が蔓延し、汚職があたりまえのロシアの病的則面が、ボリショイ・バレエ団を舞台に世界にあらわになった事件だと言えよう。


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プロフィール

星野 和彦

Kazuhiko Hoshino

1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表

作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞


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