ホノルル空港の芸能リポーター

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「ホノルル空港には出口が二つあって、大晦日から一週間張ってたんですけど、会わなかったんですよ」還暦近いいい大人がワイドショーで喚いている。「石田純一と東野理子はクカニロコへいったという情報はつかんでます。クカニロコは妊娠安産のパワーポイントだといわれてます。」
 芸能リポーターというジャンクな職業がいつから始まったか知らないが、1964年の海外旅行自由化の頃から芸能人とハワイとリポーターのもたれ合いが始まったのは確かだ。
 石原軍団や映画スター達の正月のハワイは、いまお笑いとチンピラ女優のハワイに様変わりしているが、それでも正月をハワイで過ごす芸能人は一流の変なイメージがつきまとう。久しくメディアにご無沙汰の芸人は、ホノルル空港の芸能リポーターに捕まりたくて、正月のハワイ行をたくらむフトドキものもいるという。
 夢のハワイ旅行と謳われたあの頃、ハワイは一番近い外国だった。日系人が19万人もいるので、日本語もそこそこに通じるし、ショッピングもできる。今では大相撲の外人力士といえばモンゴルだが、昔はハワイと決まっていた。高見山、小錦の全盛期が懐かしい。
 芸能人の借金、自殺未遂、恋愛、結婚、離婚などを、追っかけまわしマス・メディアに売る職業の芸能リポーターも、不況つづきのテレビ業界にあってワイド・ショーがつぎつぎと姿をけし、全員失業に直面している。奥山英志の失踪自殺事件、梨本勝の肺癌死、を最後に芸能リポートというジャンルは終わった、とマツコ・デラックスは言っている。
 ホノルル空港のリポーターを見ていても、まったく進歩がない。もともと下賤な興味に付き合う職業だから、といってしまえばそれまでだが、女子アナのリポート以下ではもはや生き残るのは無理といえるだろう。


コメント

1件のフィードバック

  1. ブログを読ませていただき、芸能レポーターの終焉を初めて実感しました。何が情けないかといえば、地方新聞が通信社のニュースをそのまま流すような横並び体質。折角の機動力があるのにそれを生かして切っていない!終焉の理由はそのへんにありそうです。
    ジャンクなニュースを報道するなら、中国以外の国が日本でこっそり行っている、怪しい動きで追っかける位の根性が必要かな?
    消えゆくサブカル?見送る思いで少しは芸能ニュースみるようにします。

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プロフィール

星野 和彦

Kazuhiko Hoshino

1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表

作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞


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