ホテル・オークラの新たな顔へ

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ホテル・オークラの新たな顔へ
 ホテル・オークラは東京のホテルで唯ひとつ「日本」のあるホテルだった。
 藤原時代のモチーフを120パーセント生かしてデザインされた空間は、日本人にとって最高の休み処だったし、遠い国からきた外人にとっても最高のオモテナシだった。
 あの頃は誰も「オモテナシ」などという言葉はつかわなかった。いま「オモテナシ」が無くなったので、あわてて「オモテナシ」という言葉にすがっているのだろう。昨日まで「グローバル、グローバル」とわめいていた人が、急に日本回帰してオモテナシ教に帰依したのかもしれない。
 オークラの和瓦に白タイルの似非なまこ壁の外壁も、ほっとするデザインだった。前のオリンピックの時に、海外のお客様のためにパリからル・コント氏を招いたのも懐かしい。どきどきしながらベルエポックの料理を味わいに出掛けた。
 すき焼きが食べたくなると、山里に駆けつけた。関西風な山里のすき焼きは、江戸前の濃すぎるすき焼きにくらべ、はるかに美味しく胃袋を幸せにしてくれた。
 プールにはヘルスクラブと称し、遊び人のモデル達と昼顔婦人が集っていた。プールサイドの食堂はひそかな恋の出会いを助けた。
 ホテル・オークラには、クラスがあって泊まることよりは、日常にホテルを取り入れたハイソな御婦人方の社交場になっていた。
 再建にあたって、「欧米を模倣せず日本の特色をだしたホテル」を願って建設された大倉喜七郎の願いがどこまで受け繋がれるか、21世紀の建築に期待したい。


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プロフィール

星野 和彦

Kazuhiko Hoshino

1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表

作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞


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