ベッキー不倫騒動がまだ続いている。
週刊誌から出火して、スポーツ紙が類焼し、テレビ、2チャンネルと広がったが、この頃では月刊誌に主戦場が移っている。
ベッキーはすべてのメディアから手をひき、あっさりと職場放棄してしまった。
「湧き出す愛情が抑えられぬ恋に未熟な二人」ルポライター亀山早苗は、ベッキーもようやく素敵な恋ができるようになってよかった。これが私の率直な感想です。といい、アメリカンなトロフィーワイフのポジション、つまり地位が上がれば、それに相応しい妻をめとっていくという概念にあてて、川谷側のリアクションすら容認している。
「それでも彼女は「あの顔」で許される。」というのは心理学者の内藤誼人氏、非難されるべき人への処罰感情は、その人の見た目に左右されます。心理学的には、ふくらんだ頬、大きな眼、高い位置の眉など、幼児の顔の特性をもっているひとは、有利なんです。ベッキーはまさに許される顔をもっています。
今のアラサー世代が生まれた1980年代といえば、まさしく不倫が流行りだした頃、不倫がテーマのテレビドラマが人気を呼び、愛人バンクというビジネスが話題を集めました。
さらに90年代には、「不機嫌な果実」やら「失楽園」などで、身近に不倫がいっぱいあって不倫というライフスタイルが市民権を得た頃でもありました。一途さが目立つベツキーの恋には、遅咲きの純愛をかんじますというのは、ライターの北条かやさん。
そんなに評判の悪くないベッキーの不倫騒動でした。
ベッキーの不倫はそんなに悪くない?
コメント
1件のフィードバック
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恋愛経験の無い自分が通りますよw
片思いが得意でした!
妄想癖のなせる業で
人間には無理難題だったみたいで…
恋とか愛ってなんなのか判らずじまいのようです。
本来あるべき姿の結婚っていったいどんなものなのでしょうか?
一夫一婦制って正しい姿なのでしょうか?
時代劇を見ながら妄想を膨らませている今日この頃です。
女がモノ扱いされている姿には悲しみしか感じませんが…
プロフィール
星野 和彦
Kazuhiko Hoshino
1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表
作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞
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