カジノとショーの街ベガスには、当然のごとく酒と女もついてくる。人間の欲望を推し測ってこつこつと砂漠のまんなかに桃源郷をきずいたのが、こんにちのラスベガスだ。
カジノのビフォー・アフターにアルコールが有効なのは当然のこと。だからアルコールはやたらに安い。飲ませれば飲ませるほど財布の口はゆるむし、酔えば一攫千金の夢も見やすい。どこのホテルもバーやカジノを縫うようにサービスして歩くアルコール娘には、とびきりのプロポーションや思わず目線の泳ぐお色気120%を配置している。
ショーも奥様族や家族ずれにはお薦めできないセクシャルな舞台が結構ある。
「Zumanity」は人間の想像力に秘められた性的感覚に問いかける舞台と称しているし、アップビートのなかのセクシーを追及するのがトップレス・レビュー「Fantasy」、モダーン・バーレスク、ブロンドの裸をどうぞ、といっているのが「Peep Show」、MGM Grandにはパリ直送の「Crazy Horse」まである。
RIVIERA ではパリのクレージー・ホースに対抗して、恥も外聞もかなぐり捨てた「Crazy Girl」なるショーを上演している。ダンサーの裸は立派だが、どこか違う。スポーティな迫力がありすぎると、肉体から情感が失われる。良くお育ちのこと、といった無機質な気分に支配されるようになり、ポール・ダンスがどんなに上手でも触発されない。ヌードが優雅さをうしなったとき、女性の本質的な魅力もどこかにいってしまう。パリのクレージーホースも大胆ではあるが、つねに半歩さがった心情に溢れている。如何ですか、これでいいでしょうか、モジリアーニの描く女性のような優しさ、優雅さにあふれている。これはショーの優劣ではなく、パリ娘とアメリカ女の心の違いかもしれない。
ベガスとパリのストリップ違い。
コメント
1件のフィードバック
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私は60歳の元踊り子です。SKDから赤坂ミカド、明治座、コルドンブルー、日劇ミュージックホール、と仕事をさせて頂きました。今先生はベガスですね。私は6月~9月末まで毎年バンクーバーで避暑をしています。
ここからベガスは近いので去年も10日ほど滞在していました。私は20年前からジュブリーを見たくて行っています。去年は楽屋ツアーも見ました。シルクのサーカスばかりで私には魅力が無くなってきています。
アメリカとパリの踊りの違いにはまったく同感です。
昔私が初めてミュージックホールを視た時の衝撃は今でも忘れられません。なんと言う悲しげな、貧乏くさい、
梅雨時の季節の様なダンサーばかりでした。後に自分が行くとはその時夢にも思いませんでしたが・・麻生さんという記者はじめて、ミュージックホールに太陽を背負って立った昭和のはじめてのダンサーと私を書いて仲良くして下さいました。前に先生が国際のお稽古場の事を書いているのを読んで昔が甦ってきました。新潟から上京して驚き、楽屋泊まりの時は大きなネズミと一緒でした。全て懐かしい私の財産です。
先生のブログ楽しみにしております。
バンクーバーにも是非遊びに来てください
心よりお待ちしております。
プロフィール
星野 和彦
Kazuhiko Hoshino
1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表
作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞
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