クルマを変えたのは、ヘンリー・フォードひとりではない。
テクノロジーを変えたのも、スティーヴ・ジョブスひとりではない。
だがヴィダル・サスーンは、ひとりで現代美容界のあらゆる面をかえた。 …New York times
ハサミひとつで世界をかえた。 と言われているヴィダル・サスーンが84才で昨日亡くなった。20世紀から21世紀にかけて、ヘアスタイルに革命をもたらし、現代美術に較べても遜色のない造形美を女性のアタマに創り出した天才だった。
彼のジオメトリック・カットは、野暮なサロンを退屈から開放し、つねに新しい女性美を創り出すアトリエに変えた。FashionとMusicとHair Styleこそ流行を創る、と主張し、パトリシア・フィールドと安室奈美恵をイメージ・キャラクターにとりあげたのも彼だった。
ユダヤ人として生まれ、第二次世界大戦では、レジスタンスの民兵に身を投じた彼が、1963年に発表したサスーン・カットは美容師の脳みそに爆弾をおとした。それまで無縁だったクリエーションとか、シャープな美意識をサロンに導入、美容師を職人とアーティストに追いこんだ。
日本からも志ある美容師は、ぞくぞくとロンドンのサスーン・アカデミーに通って彼の仕事にふれた。
サスーンの仕事に惚れ、サスーンのもとで学び、サスーンのサロンの店長にまで登りつめた鹿児島出身のヨシ・トーヤさんもさぞかし力を落としていることだろう。
今月下旬には、サスーンの一生を描いた映画が封切られる予定だった。上映に合わせ日本にくることを楽しみにしていたヴィダル・サスーンに敬愛の黙祷を捧げよう。
ヘアスタイルの革命児・サスーン
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プロフィール
星野 和彦
Kazuhiko Hoshino
1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表
作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞
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