ロシア民間軍事会社ワグネルによる反乱は、プーチン大統領にとって予想外の出来事だったかもしれない。
が、国内の法律で禁止されていた組織を黙認し、ダーティ・ビジネスをやらしてきた事実をみれば、プーチンはいつかこの組織を無きものにしなければならなかったと、考えてきたに違いない。
プーチンの料理人と呼ばれ、何万かの兵士をかかえたワグネルのプリゴジン氏は、品性はなかったが、真っ直ぐにプーチンを信じ、ショイグ国防相と参謀総長を非難することで、プーチン大統領の注意をひくことができると確信していたのだろう。
秘密警察出身のプーチンの実態を読み違ったのだ。プーチンというのはそんな一筋縄が通用する人間ではない。
すこしでも自分に逆らったり、批判的意見を吐いた人間は決して許さなかった。10人近い取り巻き達がみな悲惨な最後をとげ、原因不明の死を遂げている。
この事実を前にしてなお、自分だけは例外と信じ込み、ウクライナ戦争の真実をメディアの前にぶちまけたプリゴジン氏はよほどお人好しか、バカだったとしか考えられない。
モスクワに向かって200キロまで迫った時、プリゴジン氏にはプーチンに利用されたベラルーシのルカシェンコ大統領の調停をけとばすだけのエネルギーが残っていなかったのかもしれない。ここで鉾を納めたらすべて終わりになると予想できなかったのだろう。
いまプリゴジン氏の消息は判らない。西側のどこかに潜んでいるかもしれないが、もし正直にベラルーシに行ったとすると、もはや消されている公算が大きい。生きていても一時的なもので、いずれプーチン配下のKGBによって始末されることになるだろう。
ブリゴジンはお人好しの番長だった。
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プロフィール
星野 和彦
Kazuhiko Hoshino
1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表
作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞
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