長門裕之という芸人は嫌いではなかった。役者としての個性が貴重だということもあるが、なんといっても沢村国太郎を父に加東大介、沢村貞子という親戚をもった役者の血に芸の虫を感じていたからかもしれない。がこの処どうも疑問を感じることが多くなった。テレビ時代の尻馬に乗って、やたらプライバシーの切り売りをする。1985年に出版された「洋子へ」では、芸能界のオフィスラブ、酒池肉林の綱渡り、素人娘との一夜等々、挙句の果ては扇千景をベットに押し倒して中出ししたの、紺野美沙子の男好きが我慢できないなどと散々書きまくって一時は仕事が激減した。最近では「待ってくれ、洋子」と題して、認知症の妻南田洋子の現実と老老介護のみずからを綴って、商売に励んでいる。出版だけにとどまらずテレビ・ドキュメントにも素材を提供、さらに死の直前の入院まで、わざわざ人をあつめて記者会見をする。「僕は洋子に100万遍の別れをいった。」といかにもの台詞まわしで死亡報告の記者会見。役者のさもしさがみえみえで、少しは大人になって喪に服したらどうなの、と言いたくなる。
プロフィール
星野 和彦
Kazuhiko Hoshino
1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表
作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞
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