ブロンシェの広場でフレンチ・カンカン

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 モンマルトルの麓、ルピックの坂道を降りてきたところにブロンシェの広場がある。
 クリシーの大通りのまんなかあたりで、近所にはエロティズム博物館やら、パリロマン博物館など、なによりもパリの街中でもっともキャバレーやら、カフェの散在する場所でもある。
 その広場で目の前にあるムーランルージュの踊り子たちが、デモンストレーションを敢行した。ムーランルージュの名物であるフレンチ・カンカンを広場で踊ったのだ。
 コロナで営業禁止や外出禁止が次々と襲ってくるパリで、ようやく明るい兆しが見えてきた今、マスクなしのカンカン踊りにパリっ子たちは拍手喝采を贈ったと伝えられている。
 さあ、いよいよこの9月からムーランルージュはオープンするぞ、みんなで再び陽気な夜を楽しもう、幸せな夜がまもなくやってくる、といったメッセージのイベントだった。
 ムーラン・ルージュで夜な夜な消費するシャンパンの量は、世界一だといわれる。シャンパンと共に夜の喜びも世界一なのだ。いまだにムーランのロビーで売られているお土産の一位は踊り子たちのサインの入ったガーターである。筆者がこのムーランで仕事をしていた1960年以来変わっていない所が嬉しい。ルピックの坂道に毎夜でていたワインの屋台酒場はなくなってしまったが、モンマルトルの人々の心意気は少しも変わっていない。ブロンシェの広場のカンカンを、お巡りさんも取締りを忘れて一緒に楽しんだと伝えられている。 


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プロフィール

星野 和彦

Kazuhiko Hoshino

1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表

作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞


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