ブッチャケ、ブッコミという下品な表現

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ブッチャケ、ブッコミという下品な表現
 9.11に始まった世界的なテロ、キリスト教圏とイスラム教圏の争い、世界中に広がっている自然災害、大地震、大津波、そして原発事故そうした不安定な世界に比例して拡大してきた気休めが、「チャリティ」と「ボランティア」だと認識している。
 あえて気休めと記したのは、それに纏わる行動が問題の解決には一向に迫っていないという事実、民衆の気休めでしかないという現実だからだ。
 チャリティーを呼びかけられた時、それを断るのにはかなりの勇気がいる。呼びかける側の人たちは、そのささやかな行為が被災地の人々に役立つと、単純に信じている人もいればチャリティを呼びかける自らの行動に酔っている人もいる。
 呼びかけられた側には、どうせその金は日本赤十字社の口座に何年か寝て、利息は赤十字の人々の懐にはいってしまうという現実を知っていたり、県に入った義援金は関係のない事業に費やされてしまうという事を把握していても、そうしたチャリティーに協力しないのは人非人と思われるのがつらくて、つい協力のふりをする。
 田舎ではいまだに3.11東北大震災○○チャリティーコンサートなどという上書きが横行している。一流のコンサートではなく、三流のコンサートほどそうした上書きで催しを開く。安い入場料の何割かチヤリティーしても、所詮雀の涙とわかっていても、そうすることの自分への偽善に酔っているのかもしれない。
 問題の本質を見ないそうした世間の風潮に反発して、最近メディアに登場してきた言葉がある。あまり好きではない下品な表現だが、「ぶっちゃけ」「ぶっこみ」「やつちゃえ」などという建前に反対する本音の表現だ。ここ何年かの関西系のお笑いに慣らされた庶民は、言葉の品位に対する感性がにぶり、ブッチャケもブッコミもあっさりと受け入れるようになった。


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プロフィール

星野 和彦

Kazuhiko Hoshino

1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表

作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞


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