「フンジョ」が増えていると聞いた。はて、と首をかしげたが、その先にいきあたらない。
「フンドシ愛用の女子」と聞いて、なんでも短くすればよい、というわけではないとつぶやいたが、デパートの店頭にまで進出しているとあっては、全くの嘘でもなさそうだ。
ムレナイ! シメツケナイ! 開放感! 吸水性に優れ、むくみがとれ、体温が上がり、便秘にまで効く、 とあっては、近頃の女子がほおって置く訳がない。
そもそも女性のふんどしは、日本書紀に登場した。腰巻や下ばきの総称として、褌の文字があてられていた。
近くは宮沢リエや、武田久美子が、ふんどし姿でグラビアに登場して話題を呼んだ。日本ふんどし協会では、「ベスト・フンドシスト」に壇蜜、木口亜矢を選んでいる。
村内のお祭りや、水泳のときは、「六尺褌」と決まっていた。かって学習院初等科の水泳では必ず赤い褌をしめていたので、今上天皇の小学生時代にも赤いふんどしの経験がある筈だ。
「越中褌」というのもあった。布の両端に紐を通した下着で、いまクラシック・パンツとか、サムライ・パンツと呼んでいるあれである。 歌舞伎の女形が必ず肌につけるのも、「もっこ褌」と呼ばれる布と紐からなる肌着である。
日常的には、第二次世界大戦後、ブリーフ、トランクス、ショーツによって、褌は追放されてしまった。
以来日本人は、穿くことにならされ、包み込むことを忘れてしまった。包み込むことによって、熟睡でき、小尻になるという効用をわすれていたのだ。
モッコ・ラウンド、るーぱん、布スタイル・ミルクティ・ライク ア プリンセス、フジコチャンふんどしパンツ…… これらはメーカーが必死に考えた、フンジョのための商標である。
さあ、快眠ふんどしパンツでシアワセな夜を。
フンジョ解放戦争
コメント
プロフィール
星野 和彦
Kazuhiko Hoshino
1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表
作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞
コメントを残す