フランス映画の美貌・ダニエル・ダリュー

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フランス映画の美貌・ダニエル・ダリュー
 ダニエル・ダリューが亡くなった。
 彼女の名前のうえには常に「フランスの名花」というキャッチがついていた。
 ダニエル・ダリューの名前をフルネームで書くととんでもないことになる。
「ダニエル・イボンヌ・マリー・アントワネット・ダリュー」
 なるほどこの名前なら美人に決まっている。
 美しくなければならない宿命の名前だともいえる。
 パリ郊外のボア・ル・ロアで100歳の天寿をまっとうした。
 いつも美しく、気品にみちて、たまにちらっと見せるコケットな表情が抜群だった。
 フランス古典派の美人女優といわれたが、もっぱら文芸作品のヒロインとしてフランスは勿論のこと
 アメリカでも日本でも、大人の映画ファンの心をつなぎとめた女優だった。
 カトリーヌ・ドヌープは、年齢を忘れたただ一人の女性、それがダニエル・ダリューだと羨望していた。
 14歳のデビューだったが、シャルル・ボアイエと共演した「うたかたの恋」によっていっきに
 スターへの道をのぼりつめた。
 戦後、1950年には「輪舞」
    1654年には「赤と黒」
    1955年には「チャタレイ夫人の恋人」とたてつづけに話題作に主演したが、音楽学校を出た彼女  には、いつも音楽への秘めた情熱があった。
 1970年には、キャサリーン・ヘップバーンの代役としてミュージカル「ココ」のシャネルを演じた。
 シャネルの知的な表情から情熱的なまっすぐの気性、ダイナミックでヒステリックな仕事の顔まで、
 ヘップバーン以上に演じきったと評判を得た。それでも彼女はあっさりとアメリカをふり、さっさとフランス へ 帰ってきた。ボルドーで生まれ、パリの水に育った彼女には、パリこそが故郷だった。
 
 三度の結婚を繰り返したが、最後はロアの森で家族にかこまれ、静かに天国に召されたと伝えられている。
 フランス映画の歴史をつくった憧れの美しき女優だった。


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プロフィール

星野 和彦

Kazuhiko Hoshino

1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表

作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞


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