フジテレビの凋落が止まらない

by

in

フジテレビ ロゴ.png
 かって鹿内ジュニアが君臨し、「面白くなければTVじゃない」と煽り立て、女子アナ達を次々とスターに仕立てた、あのフジテレビのパワーは何処へ行ってしまったのだろう。
 もともと乗りで一気に作る番組が多かったフジは、韓流路線あたりからおかしくなってきた。亀山千広新社長になってからの新しい編成もまったく軌道に乗っていない。
 空前の豪華パーティで送り出した女帝安藤優子の新番組「直撃LIVEグッディー」は、「ミヤネ屋」の前にあえなく惨敗した。なにしろ安藤が飼っているフレンチ・ブルドックの餌について、安藤は犬のご飯は全部手作り、ササミにサーモン、それに鯛が大好き、これでは主婦の共感を得られるはずがない。ネット上では「安藤優子の犬になりたい」と皮肉が飛びかっていたという。
  音楽番組「水曜歌謡祭」には、かってのスター森高千里を起用したがこれも失敗、森高の日本語が少しオカシイに上乗せして歌わない森高では全く魅力がない。ウタバンの司会なら社内アナでもいくらでもいたろうに。今時の視聴者は森高程度のミニスカートでは、歯牙にもかけない。 
 四月第三週の週刊視聴率トップ20には、フジからはサザエさんの一本しかない。
 ドラマでも、「書店ガール」が奮闘したが、やはり追いつかなかった。
 何をやっても上手く行かない現場にイラッときた幹部は、ついに1000人の社内大移動というカンフル剤を打ったがこれも怪しい。人事異動や配置がえが多すぎて、ベテランが次々と姿を消している。30代の女性ディレクターがやたら増えても、現場は言うことを聴かないし、代理店は当惑し、プロダクションは横を向き、上層部のゴリオシは跳ね返せない。マニュアル通りのつまらない番組が出来るばかりだ。
 フジテレビの凋落はいつになったら止まるのか。


コメント

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です


プロフィール

星野 和彦

Kazuhiko Hoshino

1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表

作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞


カテゴリー


月別アーカイブ