フジタの美術館が軽井沢に

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 軽井沢に藤田嗣治作品に特化した美術館ができた。
 安東美術館という個人コレクターの想いの結晶である。軽井沢にはすでに、作家個人に特化した美術館はいくつか存在するが、ここまで充実した美術館はない。
 乳白色の肌色と透明な眼の表情で、多くのファンを獲得しているフジタだが、その一生については種々様々の疑念があり、表裏の格差についてこれほど多くの疑念に包まれた作家は珍しい。
 「とみ」という日本人、「フェルナンド・バレー」というフランス人、そして「ユキ」「マドレーヌ・ルクー」というカジノ・ド・パリの踊り子、そして「君代」、タイプの異なる様々の女性と暮らしを共にしたが、いつもフジタの描く女性像とは異なっていた。5人の妻から彼は期待した女性を獲得することができなかったのだろう。そうした現実が、いつもキャンパスの上だけの少女に関心がむかっていたようにおもえてならない。モデルのいないイメージのなかの少女こそ、フジタのバーチャルな心をみたしてくれていたのだろう。
 彼の描く女性像のほとんどは透明感のある少女に限られていた。大人になる前の少女の一瞬のまなざしには、待ち構える大人への凝視とも映り、やがて降りかかる大人の性にたいする警戒のまなざしにも見える。
 彼のロリータ趣味は、何も知らない幼さを崇拝する中年男の愚かさと異常性を暴き、悲しささえたくわえている。
 三島由紀夫の「美しい星」にも通じているような気がする。
 彼の作品は晩年、聖女マリアとキリストの宗教画に擬せられていくが、ランスの礼拝堂を完成し旅立っていった。


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プロフィール

星野 和彦

Kazuhiko Hoshino

1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表

作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞


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