フジコ・ヘミング79才初夏

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 軽井沢大賀ホールでフジコ・ヘミングを聴いた。
 画家であり建築家でもあったロシア系スェーデン人を父に、日本人ピアニストを母にもち、幼少時代貧困と無国籍に悩んだという過去が、まずステージ衣裳の選択に読み取れた。ジプシーでない、ピエロでもない彼女なりのエスニックな衣裳でピアノの前に座った。
 始まりはショパンの練習曲作品25より、12曲まるまる演奏した。とりたててショパンのロマンティシズムを強調するでなく、端正で普通の演奏だつた。「ピアノは飼っている9匹の猫を食わせていくための道具ね」と喝破したフジコに相応しい演奏だった。
 後半、ムソルグスキーの「展覧会の絵」に至って、俄然、芸術家としての彼女の面目躍如となった。現在は左耳のみ40%の聴力があるそうだが、暖房すらつけることが出来ずに耳をやられたフジコが、絵画の世界で過ごしてきた世界観を見事に鍵盤に叩き出した。聴力を失った彼女の音像風景をしっかりと聴くことができた。
 近年ありがちの技術重視の音楽家たち、国内演奏家と音楽教育者と音大生たちのエリート意識、人を見下した態度をとる専門家グループを、蹴散らすダイナミズムをもつていた。
 メディアの尻馬に乗ったとはいえ、日本ゴールドディスク大賞に輝いた「奇跡のカンパネラ」3ヶ月30万枚の実績は当分敗れることはないだろう。少しばかり当惑したのは、フジコの弟ウルフのブラボー隊だった。姉弟愛を超えて胡散臭くなっていた。


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プロフィール

星野 和彦

Kazuhiko Hoshino

1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表

作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞


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