まもなく京の四条大路にマネキが上がる。
南座の正面が師走顔見世興行出演の役者札で埋め尽くされる。その役者札がマネキと呼ばれているのだが、恐らくは客の大入りを願い、贔屓を招き入れるところからマネキと呼ばれたのではと、勝手に信じている。
縦は1m80㎝、幅30センチの桧の一枚板が54枚、劇場の正面に飾られる。マネキが上がると京都の人々はそわそわと年の瀬の準備やら、新しい年を迎える様々に追われる。
マネキに書かれる役者名は、勘亭流と呼ばれる字体で書かれるが、歌舞伎の看板や番付に用いられるこの書体は縁起文字とも呼ばれ、漢字文化の衰退のなかで、唯一奮闘している文字だ。
少しでも肉太に、丸味をつけて、文字の内側に跳ねを入れる、隙間なくお客を入れる願いと書体が結びついて、1779年安永8年以来続いてきた。
江戸中村座の正月興行に、鳥居清永の絵看板に添えられた岡﨑屋勘六の外題が評判を呼んで、以来歌舞伎の外題は勘亭流と決まったと伝えられる。いまでは勘亭流にもいくつかの流儀があるようだが、京都勘亭流の川勝清歩さん(81才)が引退することになり、このほど69才の井上優さんのマネキ書初めが披露された。
これから年末にかけて、清水寺では今年の一文字など発表され、京はしばらく文字の話題に華が咲く。
フォントに負けるな、勘亭流
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プロフィール
星野 和彦
Kazuhiko Hoshino
1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表
作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞
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