久しぶりにケルト音楽を聴いた。
ケルトの中でもっとも重要とされているフィドルとギターの二人組だ。会場は小諸高原美術館、羽衣、菊慈童、葵の上など、白鳥映雪の大作に囲まれた六角ホールで300人の聴衆は熱狂した。
ケルト民族は、アイルランド、スコットランドからイギリス・ウェールズ地方、フランス・ブルターニュ地方、スペイン・ガリシァ地方まで広がっているが、ヨーロッパのなかで唯一民族の音楽や踊りにこだわって生きて来た人々だ。
キリスト教音楽の7音階に対し、頑固に5音階に拘って自らの音楽をまもってきた。そこからエンヤもリチャード・クレーダーマンも生まれた。ヴィートルズもケルトの血を受け継いでいる。
日本の音楽も本来5音階なのだが、明治政府の無知と舶来万歳のエセ知識層のおかげで、民族音楽は断末魔の態になっている。マーティン・ヘイズとデニス・カヒルの音楽をきいていると、奥三河の花祭りや南信遠山郷の霜月まつりの、夜を徹して歌い踊る囃し唄が聴こえてきた。一神教ではない自然崇拝の多神教に生きる人々の共通の想いが、祈りが生きている。
ゆっくりとシンプルに始まったフィドルの演奏はいつしか狂熱のテンポになり、聴衆のすべてを巻き込んでクライマックスを迎える。そこには演奏技術はいらない。繊細な優しさと官能の魅力にみちている。下手なヴァイオリンではない、魂のフィドルと化していた。
ケルト人のラッカディオ・ハーン小泉八雲が、日本にケルトの故郷を重ね、宍道湖のほとりに終の棲家をさだめた、その理由が分かるような気がした。
フィドル・魂の演奏
コメント
1件のフィードバック
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ハーンに限らず、日本の風景に故郷の原風景を重ねる外国人は、多いですね!
ケルト音楽のお話、ドビッシーがpari 万博でガムラン音楽に出会い、「西洋音楽は終わった!!」とつぶやいた、あの瞬間を想像しました!
いい文化は、残して置くと時代を越えてブレイクスルーするのですね!
プロフィール
星野 和彦
Kazuhiko Hoshino
1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表
作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞
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