何気なくリボリ通りを歩いていたら、偶然にまったく突然に、ピナ・バウシュの公演ポスターに遭遇した。
数年前ピナ・バウシュが亡くなってから、ウッパタール舞踊団の舞台はまったく観ていなかった。指導者が偉大すぎると、次の世代に期待するには少しばかりの時間が必要で、とくに後継者の話題にふれないかぎり幻の天才を追ってしばらくは思い出旅行にかまけてしまうのだ。
ダメモトで劇場までチケットを買いに行ってもらったところ、偶然にもキャンセルに遭遇し入手することができた。パリでもピナ・バウシュはなかなかの人気のようで、ふたつの劇場でふたつの作品を上演していた。
ピナ・バウシュとの出会いは、30年年ほど前の半蔵門国立劇場だった。
いつもは歌舞伎をみているこの劇場に入っていくと、すでに緞帳はとび、舞台のうえ一面にカーネーションが咲きほこっていた。以来いくつかの作品をみたが、いつも凡人の想像を超えてすごい表現をみせてくれた。
プログラムをみると1984年の作品で「山のうえで叫び声が聞こえた」、案の定舞台一面に泥がもちこまれ、いや応なしに生命と大地を体感させられる。そこには単純な観劇ではない五感を圧倒する存在があった。
舞台一面の土、泥、そこに裸足の男たちが走り込み、一人のスカートの女を引っ張りこむところから作品は始まった。
演劇とバレエの境界を自由に行き来し、クラシックもモダンダンスもまったく意にかけずに作品は進んでいく。ドイツ表現主義の影響をうけながらも、彼女自身がいっていたタンツ・テアターである。
コンテンポラリー・ダンスとひとくくりするにはあまりにも奥行があり、演劇人も舞踊家もみなひれ伏してしまうそのドラマツルギーの力に感動させられた夜であった。
20世紀バレエ団のモーリス・ベジャール、そしてウッパタール舞踊団のピナ・バウシュ、この二人の天才に出会えたことを神に感謝しなければならない。
ピナ・バウシュ 狂気の天才に出会った
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プロフィール
星野 和彦
Kazuhiko Hoshino
1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表
作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞
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