ピカソ没後50年・ムージャンを想う

by

in ,

ピカソ作品.jpg
 今年はピカソが旅立って50年になる。
 南仏の小さな田舎町ムージャンでは、今4つものピカソ写真展がひらかれている。
 歩いて数分の小さな村落で4つものピカソ写真展がひらかれる、奇跡の悪戯としかおもえない。
 ブーゲンビリアの花、青い空と、黄色や朱の壁に彩られた村落で、かってピカソの愛した素朴な空間に、彼の制作風景、友人たちとの交歓、村での暮らし、恋人との時間のすべてが写真となって展覧されているのだ。         
 ピカソはこの村を愛し、最後の恋をし、この地で旅立ったのだが、村人もまたピカソを愛していたことが伝わる。
 ムージャンの人々が羨ましくもあり、今一度訪ねてみたいという衝動にかられる。
ムージャン・ポスター.jpg ル・カンディーユ.jpg
 パリ、アンテューブ、バルセロナとピカソの美術館はあるが、やっぱりピカソが終の住処に選んだムージャンは格別。
 友人が度々連れて行ってくれたル・カンディーユというムージャンのレストランには、マチス、レジェ、ピカソのデッサンや油絵が、玄関・廊下・トイレの入口等になにげなく飾られ、贅沢極まりないレストランだった。
 シャガール、マチス、ルノアール、ピカソなど20世紀の巨匠たちに愛されたコートダジュールには芸術の神が宿っているのかもしれない。
 


コメント

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です


プロフィール

星野 和彦

Kazuhiko Hoshino

1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表

作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞


カテゴリー


月別アーカイブ