ニースの小さな坂の途中にあるギャラリーのウィンドウに眼がとまった。
ピカソの木炭によるデッサンだ。何人かのピカソの女のなかで、一番美しいと言われていたジャクリーヌ・ロックが闘牛を見下ろしている。老境にさしかかったピカソにとって、彼女はミューズそのものだった。
その彼女の眼をかりて、ピカソは何年ぶりに故郷の闘牛に想いをはせた。
前年スペインで出版された闘牛聖書(闘牛技)に彼は挿絵を描いた。その挿絵のデッサン、版画展の会場入口に彼自身木炭で、ポスターを書いたのだ。
ときに1958年の春、ピカソは南仏のムージャンに移り住み、ジャクリーヌとともにコートダジュールの太陽を浴びてシアワセだった。 マラガに生まれたピカソにとって、闘牛は血肉のなかの宗教であり、彼のエロティシズムそのものだった。
そのピカソ手書きのポスターと再会したのは、ニューヨークのアッパーにあるとあるギャラリーだった。ギャラリーのオーナーとおぼしき上品な夫人が熱心に奨めてくれた。これは作品ではないが、ピカソ自身が自分の故郷スペインの闘牛に回帰したときの発表展に飾られた自筆ポスターだから、絶対に他にない貴重なものだ、と口を極めて奨められた。
ジャクリーヌの美しい横顔が見下ろす闘牛のデッサンは、いま軽井沢の我が家に架かっている。
ピカソ最後の愛人ジャクリーヌとの出会い
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プロフィール
星野 和彦
Kazuhiko Hoshino
1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表
作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞
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