久しぶりに伊藤愛子の唄を聞いた。
「イヨはまだ16だから」の手本になった「私は13歳」という曲で伊藤愛子がデビューして50年がたった。半世紀歌い続けてきた記念のコンサートだった。彼女の真面目さとひたむきな唄への気持ちが、一杯につまっていた。
一昨年、ベルビル通り72番地を訪ねた風景が重なった。ピアフの生まれた坂の上の貧しい下町にはいまでもピアフの生家がそのまま残されている。「1915年12月19日・エディット・ピアフは極貧のなかにこの家の階段の上で生まれた。」アパートの入口のプレートにはそう記されていた。美しい眺めという名前のこの通りから、ピアフも毎日みていたエッフェル塔が煙ってみえていた。大道芸人の父とカフェの歌い手だった母にとって、この貧しさは精一杯の贅沢だったのだろう。 ペールラシェーズの墓には、世界中の愛に焦がれたファンから、薔薇の花が手向けられていた。
ピアフを歌う歌手は、越路吹雪から岸洋子、安蘭けい、順芳といろいろいるが、伊藤愛子ほど生涯かけて歌っている歌手も珍しい。ミロールも悔やまないも、ピアフの背後霊が出てきそうだった。
壮絶な恋に生きたピアフだったが、伊藤愛子の人生にどれほどの愛があったのか知りたくなった。
終演後、ひとりひとりとロビーで握手を交わす彼女に、筆文字で自筆の招待状を下さる彼女の生き様が見えて感ひとしおだった。こうした歌手はもう生まれないかもしれない。
ピアフに惚れた伊藤愛子
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プロフィール
星野 和彦
Kazuhiko Hoshino
1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表
作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞
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