ビョンセから坂本九まで

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 オバマ大統領の就任式で、ビョンセがクチパクで唄を歌ったと攻撃されている。
 マスコミは罪を犯したとばかり、クチパクを非難している。アメリカも日本もマスコミは無知でしようの無いもんだと思う。いざというときの芸能人のクチパクは我々スタッフの間では、ほとんど常識に近い。
 「上を向いて歩こう」でスターの地位についた坂本九などは、音程が悪くそのうえ記憶力も不確かだったので、すべて本番はクチパクだった。クチパク用の録音を撮るのも、普通の歌手の倍の時間がかかった。そのため彼を使うときは、予算も収録スタジオも、つねにゆとりを持って対応した。
 ジャニーズのミュージカルもおおむねクチパクだった。帝劇でまずクチパク公演のお披露目をし、その後の全国巡演もすべてクチパクのドサマワリ、演出としては憮然たる思いだったがマネージャーが強硬にクチパクを主張、少年グループの歌唱力に不安だったのだろう。
 長野オリンピック開会式の小沢征爾指揮の第九もひどかった。長野県民の声が世界にとどく、と称して長野県民合唱団五千人を開会式場に集めたが、実際には県民ホールにプロ合唱団をよぴ、その音をのせてスタンドで何も知らずに歌っている県民の顔にかぶせて、全世界に放映した。ほとんど詐欺の世界だ。
 ことほど左様にクチパクは横行している。歌唱力の問題だけでなく、バックとのバランスや当日の気象条件など、そしてなによりも本人の実力を疑ってみることだ。マスコミの売り込み額面はだいぶ割り引いて理解しておくことだ。
 大きな会場でのイベントではまずクチパクを疑ってみる。いまやこの世はインチキだらけ、ビヨンセからジャニーズ、坂本九まで、すべてクチパク常習犯だったのだ。
 


コメント

1件のフィードバック

  1. 長野オリンピック開会式の小沢征爾指揮の第九もひどかった。
    その通りですね、そして、県歌信濃の国も残念な結果に、メロディーラインが変わる6番から、急に歌声が萎んだ姿が世界中に流れました。
    そのようにばれてしまった事実とは別に、坂本九さんの口パクは、当時子供だった事もあり、見抜けませんでした。
    特に、日本で初めてワイヤレスマイクを持って、唄いながら客席を廻るサービスが、坂本さんの独断壇上だったため、いまさら口パクと言われても、昔の人のテクニックに感服する次第です。

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プロフィール

星野 和彦

Kazuhiko Hoshino

1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表

作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞


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