パーヴォ・ヤルヴィのダフニスとクロエを聴いた。興奮した。
NHK交響楽団が何十年ぶりに迎えた主席指揮者ときいていたが、正面からまともに聴いたことはなかった。
21世紀的ハイブリット指揮者と、どこかのレコード会社が付けたキャツチに踊らされるのは如何がなものかとしばらくスルーしていたが、ダフニスとクロエにおける繊細でニュアンスにとんだ表現に接し、圧倒されたのだ。
父は偉大なる指揮者、弟も指揮者、そして妹はフルートという環境に育ち、エストニアからニューヨークに渡り、カーチィス音楽院をでた後、かのレナード・バーンシュタイン、オーマンディ、ドラティ、ショルティ等に師事したのち、ロサンゼルス・フィルハーモニック、シンシナティ交響楽団の首席指揮者についたのち、ドイツ、カンマーフィルハーモニー・ブレーメンとのベートーヴェン全曲集で一躍有名ブランドになったことから、さぞ華やかで大仰な指揮をやるかと思ったらとんでもない、端正で温かい、切々とした指揮ぶりにすっかり参ってしまった。
ヨーロッパで、ウィーン・フィル、ベルリン・フィル、バイエルン、パリ交響楽団などに迎えられ客演している意味に合点がいった。
若い指揮者育成のための公開マスタークラスでは、ビートを刻むな! 表情を出せ! テンポを合わせる指揮はいらない。何を際立たせるか、なにをつたえるか、表現したいのはなにか! 譜面を指揮するな! 音楽を指揮しなさい! といちいち合点のいく指導を丁寧に繰り返していた。
東京芸大、東京音大、桐朋学園大、上野音大などで指揮者を目指して勉強中の学生のなんとつまらないことか。無表情でスコアを指揮するこの若者たちに明日はあるのか、はなはだ疑問が残った。
音楽に限らずバレエなどでも、日本からきた生徒は技巧だけで表現不在と言われている。テクニックを身につけたら世界に通用すると錯覚しているのだ。踊れる技術と身体条件は100パーセントあることが必要条件、そのうえで解釈力と心理的表現ができなければ、芸術家としての明日はない、というのが世界の常識なのだ。
パーヴォ・ヤルヴィの指揮棒
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プロフィール
星野 和彦
Kazuhiko Hoshino
1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表
作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞
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