パリ祭前夜の結婚式

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 「結婚オメデトウ」を jean-Claude さんと Miyuki ちゃんに贈ります。
 46 rue Ramey の la Cantine du 18 の花嫁さんは美しかったに違いない、と想像してます。
 革命記念日の前の日7月13日がその日だったのに、その日パリの映像とトークで東京に出かけ、御祝いの言葉が書けませんでした。後出しジャンケンの言い訳です。
 いつの日かMiyukiデザインになる宝飾が、日本にも届くことを信じてます。
 Quatorze Juillet の前夜、バリの消防署ではみんなダンスで祝福してくれていた筈だし、バスティーユの広場では、光のなかのロック・コンサートが開かれていたことでしょう。
 テレビでは、ツール・ド・フランスが中継され、フランス中の祝福のなかで、結婚のセレモニーを挙げられた、忘れがたい記念日になりましたね。
 すぐる年13日の昼下がり、セーヌの岸辺が異常な興奮に包まれていたことを思い出します。シャンゼリゼー通りの軍事パレードで先頭を飾る 陸軍士官学校と海軍兵学校の生徒の船乗り込みに遭遇、船を迎えるパリジェンヌたちの興奮ぶりに呆然。何百人の若い兵士と岸辺のジェンヌとの歓声交換の波がどこまでもつづいて、兵士たちの人気の凄さに驚かされたこと。
 半世紀前にはどこの街角の広場でも、革命記念のダンスパーティーが開かれ、バスティーユの広場などでは、5ヶ所に分かれ、三色旗のディスプレイのある小さな舞台にバンドが乗って、ひがな喜びに踊って、解放の歴史を伝えていました。
 7月14日この国最大の記念日も、大きくなり形式化したことで心が薄くなったような寂しさを感じるのは、歳のせいばかりではないと思う。
 


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プロフィール

星野 和彦

Kazuhiko Hoshino

1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表

作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞


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