ペール・ラシェーズ墓地はパリ最大のお墓だ。
ルイ14世のざんげの相手だったラシェーズ神父の隠棲の地だったことからこの名前が付いた。1804年ナポレオンによって造られたのが、この広大な死者の楽園なのだ。
墓というと日本人は陰湿な幽霊の棲家を連想するが、パリのお墓は観光地であり、デート・スポットであり、歴史に出会える貴重な場所でもある。なになに家の墓と記された一元的な墓石が並んでいる日本の墓地とは大違い、墓の形が自由で、造形的にも楽しい。
お互いに抱きあっているのもあれば、しっかりと手に手をとってあの世に旅立っているのもある。生前の故人の想いが墓のかたちになっている。
オスカーワイルドの墓はサロメが背負ったかたちで、ファンの文学少女のキスマークで埋め尽くされている。口紅の成分で墓が壊されてしまうというので、二、三年前から厚いプラスティックに覆われてしまった。
ピアフの墓は男性のヌード神が覆いかぶさって守っている。彼女の愛の遍歴を暗示するかのように。
ショパンの墓には、ピアフとは逆に女性の彫像が乗って彼を守っている。ジョルジュ・サンドの魂が永遠に寄り添っているのだろう。
コレット、モリエール、マリーローランサン、ロッシーニ、ビゼー、バルザック、イヴ・モンタン、シモーヌ・シニョレ、イサドラ・ダンカン、コロー、アポリネール、モディリアーニ 数え上げたら限のない沢山の歴史上の偉人たちが眠っている。
ポスト形式の共同墓地には、マリア・カラスの名もあって偉大なソプラノ歌手の終焉の悲しさに涙を誘われる。
かって売春の舞台となり、死姦、吸血鬼迷信、さらに黒ミサの舞台ともなったペール・ラシェーズはいま若者たちのデートの場となり、散策の道となり、歴史の巡礼地となっている。
パリ最大の死者の楽園
コメント
プロフィール
星野 和彦
Kazuhiko Hoshino
1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表
作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞
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