大音響のなかモデルが次々と登場し、ランウェイを歩いてニューモードを披露する、そうしたファッション・ショーのスタイルはもはや昔のことと、一気にかわったのが、2016-17秋冬のパリコレクションだった。
日常着が全くストリート・ファッション化し、表通りを明け渡したメゾンがようやく端緒を掴みかけたのが、今シーズンのコレクションだったともいえる。
圧巻だったのは、グラン・パレに於けるシャネルのコレクション。
93人のモデルが、会場640メートルの通路を旅をしたのだ。衣装のテーマは旅、旅におけるあらゆるモードの楽しみを提案した。CAから若いカップル、リゾートへの行き帰り、異国からの訪問者、ビジネスエリート、そうしたライフスタイルを、長い空港のロードに見立てて、表現をした。
グラン・パレの壮大なガラスのドームが時空を超えた表現の助っ人にかわった。
サンローランのショーは意表をついて、昔に回帰した。
音楽のない空間にモードだけが登場する。作品のナンバーだけが告げられ、あとはモデルの靴音が、会場にひびいた。半世紀ぶりに音楽から解放されたコレクションがそこにあった。アメリカンな音響技術が登場し、レコードからカセット、そしてメディアのデジタル録音に引っ張りまわされた50年を大胆に棄て去り、モードのクラシック回帰がリボーンしたショー表現だった。
音楽のないコレクションは、音楽から解放されてさらに自由なクチュールファッションの生き様がみえた。
このところ何かというとアートに傾斜しているルイ・ビィトンは、さらに推し進め57本の鏡の列柱によって、異次元の空間をつくりだした。
ジバンシーは木の壁による巨大迷路を作り、観客もモデルもそこに閉じ込めた。そこにはモードと人間の極めてクローズトな人間関係が提示され、あきらかにストリートファッションへのアンチテーゼに満ち溢れていた。
伝統的なパリコレクションにあらたな哲学と表現がくわわり、全く新しいショーが登場した今シーズンは、パリのメゾンの可能性を更に感じさせてくれたシーズンだった。
パリ・コレから音楽が消えた
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プロフィール
星野 和彦
Kazuhiko Hoshino
1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表
作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞
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