パリのYUKIは壇蜜のクラスメートだった

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 パリに来ると、YUKIちゃんとTSUMEの二人に会ってなんとはなしのオシャベリを重ね、食事を共にするのが恒例になった。過ぐる年はサントノーレにある「うなぎの野田岩」で語らったが、今年はパリで一番古い日本料理店「たから」で会おうということになった。
 TSUMEはヘア・スタイリストとして活躍しているし、YUKIは超一流スパのスタッフとして働いている。今まであまりお互いの履歴についてカミングアウトしたことはなかったが、どうしたことかお互いの学生時代に話が及んだ。
 YUKIがひかえめに言い出したことには「実はあたし今日本で話題になっていいる、壇蜜さんと同級生なんです。」「えぇ、昭和女子大?」「はい、英文科です。」…壇蜜ほどに色気をおもてに出していないが、ほどほどに抑制した三十代の女性の良さをもっている。国士のような骨太の彼のはなしを、いつも傍らで微笑んできいている暖かい日本の女性なのだ。
 バーンシュタインが惚れた昭和にある人見記念講堂には、僕もひとかたならぬ思い出がある。
 初めてのデジタル・オペラ「青獅子」を上演したのが、昭和の人見だった。壇蜜とパリのYUKIと伊那谷のデジタル・オペラがひとつになって、話題に花が咲いた。
 それからスクリーブのホテルの部屋にはいっぱいの花が届けられた。 ピィボアンヌとよばれる大きな芍薬のような花束を主役に、多彩なバラの数々、ちいさなあじさい達…名前をしらない美しい花たちが部屋をパリの香りでいっぱいに充たしてくれた。
 ひと月のパリ生活は、YUKIの心尽くしの花がいつも傍にいてくれた。幸せの五月のパリだった。


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プロフィール

星野 和彦

Kazuhiko Hoshino

1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表

作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞


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