朝6時、ホテルの中庭に手回しオルガンの流しがくる。
ベッドサイドの窓をすこし開けて、オヒネリを投げる。向かいのカジノ・ド・パリのスターの窓もすこし開いて、白い手からオヒネリが投げられる。
遠くのほうから「メルシー」「メルシー・ヴォクゥ」オルガン弾きの声がこだましてくる。
パリの雀も中庭の芝生でさえずっている。古いシャンソンが手回しオルガンにのって流れる。
うとうとと朝の夢を見ていると、ドアノブのガチャと開ける音に眼を覚ます。「ボン・ジュール」明るい声で、ベッドの上に朝食を運ばれる。タマゴ料理とクロアッサンとバターと紅茶のコンチネンタル。
カーテンを引き、窓を開け放って、さあ今日も太陽は元気だよ、一方的に起こされる。太りぎみのセクシーなメイドさんだった。 …ここまでは半世紀前のパリの朝。
5時半からメトロは走っている。6時にはバスも動き出す。
7時になるとアベス通りのパン屋も店をあける。親爺はすでにエリゼー宮の大統領に今朝のバケットを届けてきた。鼻が高い。
7時半には、ラスパイユの朝市も立ち、バターやチーズにうるさいマダムが買いに来る。
この時間にはサルトルの書斎と呼ばれたカフェ・ド・フロールも、ジャン・コクトーが通ったル・セレクトもオープンして、店先では老人があいかわらずのル・モンドを読んでいる。
犬の糞をピックアップするパリ市のバキューム・スクーターが忙しく走り回る。
8時半にはルーブル美術館にもエッフェル塔にも、長い中国人の列ができる。団体の横ではタキシードとイブニングの中国人カップルが、着付とカメラマンを引き連れて撮影ハネムーン。中国人の観光欲、購買欲、写真欲にはほどほど感心させられる。1000年の鎖国がいまようやく解けたのかもしれない。
パリジャンもパリジェンヌも、セーヌ河ぞいを走っている。走っている。
……オルセーの大時計に朝陽があたり、パリの一日が始まる。
パリの朝、いまむかし
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プロフィール
星野 和彦
Kazuhiko Hoshino
1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表
作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞
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