夕方6時といえば、日本では一日の終わりといったところだが、パリの6時はまだまだ明るい。でも仕事は終えて、夜の暮らしの準備をする。
オペラ・ガルニエもオペラ・バスティーユも始まりは、7時30分か8時なので、夕食をどうするか、から始めなければならない。劇場と食事は両立しない。
オペラやバレエを選択したら、その日の夕食は簡素に、早めに劇場の側まで行き、ジャンボン・サンドで小腹を充たすか、終演後の夜のビストロしかない。
食事を選択したら、★つきのレストランに8時ぐらいからの予約を入れ、セミ・フォーマルで夕食を楽しむ。ただしこの場合、にわかでいいから女性を伴わなければならない。夕食をひとりの文化は、パリにはない。夕食を共にしたら、翌朝のコーヒーも共にするというのが、慎みふかいパリジェンヌの優しさである。
ひとりで食うなら、町なかのカフェかビストロへ行け、それとも近頃はやりのラーメン屋へでもいって済ませろ、というのがこの町のルールなのだ。
クレージー・ホースやムーラン・ルージュ、またはリドあたりに出掛けて、ディナーとともにショーを楽しむという夜もありだ。7時に入って食事をして9時のショーをみるか、9時過ぎに入ってシャンパン付きで11時のショーを見るか、はそれぞれの都合になる。アルコールに弱い小生はは、いつも不都合な夜を送ってきた。
11時または12時には、エッフェル塔のシャンパン・タワーが始まる。5分間または10分間エッフェル塔にシャンパンの如き電飾が点滅し、パリの夜を祝福する。
革命記念日の夜は三色にエッフェル塔が色分けられ、さらにシャンパンが加わり、最後にはタワーから花火が四方八方に噴き出す。 シャンパン・タワーは、市内何処からでも見える。
この時間になってようやくナイトクラブのドアが開き、翌朝の6時まで愛を温めてくれる。
パリの夜・ちかごろ
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プロフィール
星野 和彦
Kazuhiko Hoshino
1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表
作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞
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