パリには乞食が多い。オスマンのパリ大改造にさいしても、乞食をどうするかというのが最大の問題だったと歴史的記述にのこっている。
半世紀前、僕の初めてのパリの頃、新聞スタンドの絵葉書には必ずといっていいほど、乞食のポストカードが売られていた。古い橋のしたで、破れた燕尾服をきてチェロを弾く悲しそうな乞食、木製の小さな箱車には両足を失ったヴァイオリン弾きの伯父さん、後ろの壁にはコンセルバトアール通りのプレートがかけられていた。
リーマンショック以降、パリでも急速に経済格差が拡大し、街のあちこちに乞食が急増したそうだ。麻袋を曳き、本人はごろりと横になって一日中仮眠している。その傍らに犬、犬はお腹の空いた力ない表情で道行く人をみつめる。ついうっかりと小銭を出したくなる。ビルの吹き溜まりやメトロの入り口が彼らの縄張りである。メークをしふん装したマイム風な乞食も多い。サクレクールの丘には白塗りの聖人がいる。聖人はストップモーションのままなので結構きずかずにその前で記念写真のお上りさんもいる。
傑作だったのは、オベリスクの前のクレオパトラ。黄金のマントに包み、黄金のメークでツタンカーメンのごときヘア・スタイルが決まっている。なかなかの美人でまことクレオパトラはさもありなんの風情をただよわせていた。
楽器を手にした乞食も結構多い。ヴァイオリン、フルート、チェロ、トランペット、サックス、等など、アップライトのピアノをもってきて、デパートの前でショパンを弾いているとんでもない乞食もいた。
ロマの連中はこざかしい芝居をする。カモの前を何気なく歩き、ふと何かを拾う。金のリングだ。リングを差出し、落ちていたよ、あなたは幸運に恵まれている、とか何とか言ってリングを手渡す。リングを受け取ったら最後、実は私は昨日から何も食べていない。空腹で倒れそうなので助けてくれ、となにがしの金を強請る。メッキのインチキな指輪で見事に金をとられる。日本から来た若い女の子など結構ひっかかっているようだ゜。
パリの乞食
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プロフィール
星野 和彦
Kazuhiko Hoshino
1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表
作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞
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