パリの「トコジラミ」戦争

by

in ,

 フランスの誇る高速鉄道TGVの座席から、とんでもないものが見つかった。
 TGVだけならともかく、パリの地下鉄からも発見したというので、パリ市は緊急消毒を実施していると伝えられる。
 来年のパリ・オリンピックまでに完全に駆逐することが出来るか、どうか微妙な時期を迎えている。
 主役は「トコジラミ」である。
巴里トコシラミ.jpg
 トコジラミは南京虫として知られ、ただ単純に痒いだけではなく、感染症の媒体にもなるし広く皮膚病の病原菌として困った存在である。
 乗り物だけでなく、広く市中にあるホテル、宿泊施設などからも発見され、古き良きパリのあちこちから次々と発見されパリジャンは今「シラミ・パニック」に陥っていると伝えられる。
 オリンピックで世界中から集まった観光客に「トコジラミ」を持たせてお国に帰ってもらえば、とも思うがフランス国家としてはそうもいかず、目下シラミ大作戦に追われているようだ。ホテルもレストランもみな古いという素晴らしさが弱点となり、パリの町中がトコジラミの住処となってしまったようだ。
シラミ駆除隊.png
 原因はといえば、国境を取っ払ったEUという説がもっぱら、大統領が変わる度に問題となる「移民」「難民」の受け入れ問題だ。
 近年ヨーロッパの先進国でいずれも問題になっているイスラム圏、アフリカ圏からの難民流入問題。難民とともに貧困がやってくる。難民とともに社会秩序の破壊がくる。難民とともに病気がくる。難民とともにとうとう「トコジラミ」までやってきたという問題なのだ。
 第二次世界大戦末期の日本人すべて疥癬皮膚病パニックを思い出す。占領軍の初めの作業は日本人すべてにDDTをあたまから吹きかける作業だった。


コメント

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です


プロフィール

星野 和彦

Kazuhiko Hoshino

1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表

作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞


カテゴリー


月別アーカイブ