パブリック・アートが楽しい。

by

in

 JTBやHISのニューヨーク美術紀行といえば、まず第一にメトロポリタン美術館、第二にニューヨーク現代美術館、第三がグッゲンハイム美術館、そしてホイットニー美術館といったところだ。
 が、この街の楽しさは美術館という箱に入らない街角のアートにある。
 56丁目の6番街のかどには、かの有名な「LOVE」の立体、文字の表面は赤、側面が青で御上りさんはくぐったり、ポーズしたり、ニューヨーク行の証明として記念撮影に余念がない。ひとつ上の57丁目には「NINE 9」の大きな立体が赤く東西をにらんでいる。ウォール街にはイサム・ノグチの「レッド・キューブ」赤の四角い立体に穴があいている。近所には「MUSHROOM」の4本の巨木がニョキニョキと15mぐらいに育っている。
 パーク・アベニューの雪景色には、大きな薔薇のオブジェが彩をそえた。直径1m以上の赤やサーモン・ピンク、黄色、白いバラがビルの谷間を飾って、一瞬この街をメルヘンのキャンパスにかえてしまった。マイケル・ブルームバーグNY市長は、日常のなかのアートの素晴らしさとともに財政的にも100億の経済効果をこれらパプリック・アートが創りだしていると演説している。建設事業費の1%はパブリック・アートに使うべしという条例が、殺伐とした現代都市に大人のゆとりと美意識を生んでいる。どこかの国とは大分違う。
 ブルックリン橋の橋桁のしたに「WATER FALL 滝」が突然登場したり、イースト・リバーの真ん中に「WATER FALL」がライトに浮かんだり、芸術家と市当局が手をとりあって、環境芸術としてのパブリック・アートを推進している。ニューヨーク散歩はパブリック・アートから。


コメント

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です


プロフィール

星野 和彦

Kazuhiko Hoshino

1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表

作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞


カテゴリー


月別アーカイブ