薄暗いパッサージュを歩いていると、ガラス越しに突然魔女が顔をだす。蝋人形館のアピールだが、あまりいい気分はしない。
バッサージュというのは簡単にいえば、18世紀のアーケード街、多くは貴族の館のそばに作られ、貴族の御用商人が集まっていたそうだが、いまでは貴族もいなくなり、商人たちもあちこちに散って、かっての雰囲気を維持しているパッサージュはいくつもない。
蝋人形館のあるこのパッサージュ・ジュフロワには、ホテル・ショパンと称するクラシック・マニュアにはこたえられない安ホテルもある。角を曲がれば、凝った木製玩具の店などもある。
オスマンの大通りを渡ると、パッサージュ・デ・パノラマがある。入り口左には蒸気機関車の始まりを再現した汽車レストランがある。雰囲気は120パーセント汽車の旅だが、とにかく狭い。狭い車内で往年の汽車の旅を体験しながらの食事もまた乙なもの。切手趣味のひとには貴重な故買屋もある。
近所のパサージュ・ヴェルドーには古本屋が集まっている。むかしの羊皮本から前世期のセックス本までなんでもある。手に入れたい本を探すには人の好さそうな本屋の親父を見つけることだ。神経質に監視していて、すぐに触るなという怖い本屋から、一緒になってページをめくってくれる親切な本屋までいろいろだ。気にいられるとお茶まで出してくれてなかなかに逃げ出せない。
もっとも美しいパッサージュは、ギャルリー・ヴィヴィエンヌといわれている。人気のサロン・ド・テ「ア・プリオリ・テ」でデートするもよし、ランチもなかなかに美味い。奥にはワインの専門店、食器の専門店と女性の好きなハイセンスな店が揃っている。
パッサージュのなかには、娼婦の巣のようなセクシーなところもあり、慾求不満の若者や女房に逃げられた叔父さんが病気覚悟で通う。
パッサージュの優雅なガラス屋根のしたには、人間の裏表が揃っている。雨の日のパッサージュ巡りはとても楽しい。パリ右岸には20以上のパッサージュがある。
パッサージュの裏表
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プロフィール
星野 和彦
Kazuhiko Hoshino
1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表
作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞
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