バワハラ降板のナンセンス

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バワハラ降板のナンセンス
 鈴木砂羽が苦労している。
 貴女は貴重なキャラクターなのだから、自分自身をもうすこし大事にしてほしい。
 まずいい加減なプロデューサーとは付き合わないことだ。
 脚本を書いてその上プロデューサーをすると聞いただけで、まず疑わなければならない。脚本家に要求される能力と、プロデューサーに要求される能力は全く違う。それぞれが専門職なのだ。そこをわきまえないプロデューサーでは、トラブル発生は必然である。
 ましてや舞台稽古のダブルブッキングは考えられない。いちどは役者の芝居の寸法を合わせるために、舞台に於ける通し稽古、さらに作品の完成度を上げるため、照明や効果、さらに転換のチェツクなどにスタッフとキャスト一体になった舞台稽古が必要なのだ。
 プロデューサーは、ケイコスケジュールから公演終了まで、責任をもって演じられる俳優を契約すべきだ。
 そしてキャスト、舞台作品をしらないミスコン上がりのにわか女優など使ってはいけない。彼女らは舞台演技はしらないし、ましてや脚本もよみこめない。テレビの安易な芝居づくりと、観客を前にした自己顕示欲しかないオバカな女優なのだ。
 勿論、床のうえでの車座のダメダシは全く未経験だから、床にすわっただけでパワハラなどととんでもないことを言い出す。彼女らの所属するプロダクションもこれまた素人、観客にたいする責任感皆無、二日前に降りるという無責任極まりない事態となる。
 エセ女優は舞台の厳しさを知らないから、厳しい稽古をパワハラというのだろう。下手な役者はとことん追い込まなければ、表現にならない。おだてたり説明しただけでは、求める演技表現にならないので、たまには怒鳴ることもある。繰り返し繰り返しやらせることもある。作品を作り上げるための最低必要条件である。
 がこうした大根役者は自己反省がないから、ブログなどで自己正当化し、自らへの反省は全くない。
 ダメダシをするからみんな座れ、というのはごく当たり前のことで、そこで拙劣な演技を指摘され、土下座をして謝まらされた、などというのは役者以前の問題、迷惑をかけているだから、正座して皆に謝るのは当たり前のことだ。
 こうした当たり前のことをしたり顔で取り上げるテレビのワイドショウにもあきれる。訳知り顔のコメンテーターは、舞台製作の厳しさをしらない。パワハラにあたるか、あたらないか、議論している。北朝鮮の核ミサイルの前で、まずお話が大切といっている左翼よりまだひどい。
 だから鈴木砂羽が窮地にたつのだ。涙など流さずに、演出とはこういうものだと、しっかり主張すべきだ。


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プロフィール

星野 和彦

Kazuhiko Hoshino

1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表

作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞


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