バレエの王子はホストである

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バレエの王子はホストである
 バレエ「王子系」が台頭…とんでもない表題が踊っていた。朝日新聞文化・文芸欄のトップ記事である。
 バレエの世界で、王子様役を得意とするダンサーが存在感を増している。力強く華麗な技巧で見せるタイプの熊川哲也さんらが、世界に飛び出してから30年。背景には「王子様」イメージの広がりがありそうだ。…とつづいている。 とんでもないことだ。なぜ天下の朝日がこんな記事が書けるのか不思議である。
 スポーツ選手の世界でハンカチ王子やハニカミ王子が人気を博したように、芸能界でもジャニーズの王子様キャラが人気を呼んでいる。だからバレエの世界でも王子様が注目されている。
 非常識、不勉強もいい加減にして欲しい。この国のバレエが何時までたっても世界の三流なのは、こうしたオバカなバレエ記事が大手を振っているから、いつまでたっても前にすすまない。
 今年のユース・アメリカ・グランプリで第一位になった三宅琢未君が、記者の質問に答えて曰く「僕は王子系です。村人役とかじゃなくて王子様を小さい時から練習してきました。」だから僕のキャラクターは王子系だというのだ。指導してきた教師がなにも分かっていないので、こんな恥ずべきダンサーを生み出したのだ。
 かってバレエは貴族たちのお慰みだった、だから貴族たちの習俗をまねて登場してきたのが、クラシックバレエのなかのダンスール・ノーブルなのだから、貴族の見当たらない香川育ちの三宅琢未に貴族の王子のイメージは皆無の筈だ。君の励んでいるのは、バレエのソックリ・ショウなのだ。
 なぜいまボリショイ・バレエが地に落ちているかというと、古色蒼然たる「白鳥の湖」や「眠りの森の美女」しかできないから、時代からおいてけぼりをくっている。白いタイツの王子さまとロマンティック・チュチュでは、欧米ではだれも興味を示さない。
 かって王子様が必要だったのは、女性ダンサーの華やかな美しさを支えるサポート役として、ツッカエボーと言われながら舞台を務めてきたのだ。ツッカエボーにはそれなりの身長が必要だったし、ととのった容姿があってあたりまえ、日本人もようやく外人並みのプロポーションをもった世代が誕生して、なんとか無事にツッカエボウができるようになったということだ。
 王子系を抹消してクラシック・バレエの現代化をめざしたり、王子のいない現代社会の肉体化、バレエによる思想哲学の表現こそが、世界のバレエの向かっている方向である。まま古臭い王子のでるクラシックを上演するのは、金儲けのバレエ商売にほかならない。
 バレエの王子役は、ホストクラブのホストであると理解すべきだ。


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プロフィール

星野 和彦

Kazuhiko Hoshino

1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表

作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞


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