モネが一人でせっせと作ったジヴェルニーと全く反対の立ち位置にいるのが、バルビゾンといえるだろう。
信州の理屈好きに圧倒的に支持されている岩波書店、その岩波のシンボル・マークも、ミレーの代表作が務めているが、コロー、ミレー、ルソー、ディアズ、デュプレなどバルビゾン派は、明治以降の日本の近代絵画にとって重要なキーワードだった。
とくに風光明媚でもないよくある田舎の風景に着目した彼らは、それまでの神話、宗教画、歴史画に反旗を翻した。バルビゾン村に近ずくとミレーの「晩鐘」に描かれていた教会がそのままにある。村のメイン通り、グランド・リュには、「落穂拾い」や「種をまく人」の陶板やモザイクが、商家の壁に嵌めこまれている。
92番地のカンヌの宿屋には、バルビゾン派の絵が収集されていたし、22番地のホテル・レリー・ドゥ・バスブルーにはヒロヒトという名の部屋があった。若き日の昭和天皇が、志賀直哉から自然主義運動の進講を受け、この村に興味を持ち訪ねた時の証人だ。
27番地のミレーのアトリエには、黒田清輝のサインが残されていた。この素朴な農村から自然主義的な美術運動は起きた。農民の仕事への賛美、農村風景への憧憬、森や渓谷、水辺への愛着は、今の日本でこそ振りかえなければならないテーマだろう。
どちらを見ても、山と川と田園風景の信州で、バルビゾン派のような芸術運動が起きないことが不思議だ。ミレーの「種をまく人」コローの「大農園」は、山梨の美術館にある。ピサロの「エラニーの菜園」コローの「ヴィル・ダヴレー」は福島の美術館にある。東京の富士美術館には、コローの「もの思い」クールペの作品など多くのバルビゾン派の絵画があるが、どれも芸術家達への影響はあまりない。美術館にある作品と創造活動は無関係というのが、この国のルールなのか。
バルビゾンはいま一部金持ち階級の別荘地と化けつつある。軽井沢にならないでほしいと願いつつ、この村をあとにした。
バルビゾン村のいま
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プロフィール
星野 和彦
Kazuhiko Hoshino
1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表
作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞
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