バルザックのシンボルを見る

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バルザックのシンボルを見る
 市内でただひとつの葡萄畑を横目に、東へ降りていくとマルセル・エーメの広場にでる。
片隅の壁から、「あの壁抜け男」が飛び出している。風刺と詩的幻想に彩られたエーメの作品が、そのまま街角にあるのが嬉しい。
 モンマルトルの丘には古いふたつの風車以外、ちいさなダリダの広場には美しかったダリダの胸像があり、胸だけがピカピカに光っている。なで仏の頭が人々の信仰でピカピカになつているように、パリの人々はダリダへの想いを胸に託しているようだ。
 ピアフは両手を天にかざして唄っている。エデット・ピアフの広場と名付けられた小さな三角地帯だ。
 カトルー将軍広場には、アレキサンドル・デュマがいて、ダルタニヤンも居る。アレキサンドル・デュマは実はシーレット・ブーツに頼ったチビだったことがわかる。
 ホテル・レジナのまえには黄金のジャンヌ・ダルクが、故郷オレルアンの方に向って凱旋将軍さながらに向っている。すぐる年、パリ市内にいくつもあるジャンヌ・ダルクを訪ね歩いたことがあった。ビクトル・ユーゴー教会の悩めるジュンヌも共感したが、甲冑に手を通したサン・マルセル通りのジャンヌにも16歳の少女の覚悟が見えて、頼もしかった。
 がなんといっても颯爽と戦場に飛び込むビル・アケム橋の中ごろにあるジャンヌに勝てない。
 グランパレの横には、ドゴール将軍とチャーチル首相が鎮座している。
 が街角の銅像ウォッチングのクライマックスは、ラスパイユ大通りカフェ・ロトンドの横にあるバルザック像にとどめを指す。このロダンによるバルザック像は、そのマント姿に隠されたロダンの意図が議論の的になってきた。そこにはエロスと想像力が隠されている。マントのしたで、バルザツクはファロスを握り、生殖と創造の人間をいきている。
 右後ろの20歩後ろから見ると、バルザックの全体像は男性のシンボルになっている。


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プロフィール

星野 和彦

Kazuhiko Hoshino

1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表

作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞


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