バブルには踊れない

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 あの頃、お金が世の中を踊っていた。
 六本木の我が家のまわりには、ポルシェがずらりと並び、出所不明の黒服たちが群がるボデコンをさばいていた。VIP席のあるジュリアナ東京では、レーザー光線の飛び交う大音響のなかで、お尻をふり扇子をかざして踊り狂う女の子たちに溢れていた。
 明日のゴルフは東雲のヘリポートから6時に飛ぶから、といわれても不思議には思わなかった。戦後ずっと続いてきた右肩上がりの経済が、ある日突然に終わるなどとは誰も予想出来なかった。
 就活はいとも簡単に内定が貰え、その上一年も前にハワイに招待されて行ってきたという学生天国だった。新入社員から官僚まで、ふところにはタクシー券がどっさりとあり、夜の銀座はまともに歩けないほど混んでいたいた。代理店のスタッフははクスリで捕まり、東京の夜は接待の夜と化していた。
 懐かしくも愚かなあの時代の足音が、今なんとなく再び聞こえてきたような気がしてならない。麻生大臣のような身なりの整った紳士が、高級ワインのまとめ買いをしている。銀髪の女性はジュエリーの内覧会で、これとあれをいただくわと、ついこの間までの閑散が遠くへ行きつつある。
 アベノミクスと囃されているが、一方ではソニーもシャープもパナソニックも経営不振で海外に身売りを、といった悪いニュースが聞こえてくる。
 なにか景気の良くなるビジネスに加担した覚えもなく、ただ株価が上がり円が安くなったといわれても、キツネに鼻をつままれたような気分なのだ。この手品には種があるに違いない、今度こそ騙されないぞ、と構えても世の中はどんどん流されていく。
 あの時は日本中が狂っていましたね、とふたたび…再び言いたくない。


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プロフィール

星野 和彦

Kazuhiko Hoshino

1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表

作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞


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