バイリンガル風な阿呆

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 ある時期から、スタッフに応募してくる女性が「マニュアルありますか?」「いえ、ありません」「どうしてないんですか」「演出のしごとにマニュアルはありませんから」不満そうな顔をする。どうぞお引取りください。「試験もしないで不採用ですか」「いえ、いまの貴女の質問で充分わかりました。」
 学校でどんな就職指導をしているのか知らないが、CAとマクドナルドの延長線上に演出や制作の仕事があると思われては迷惑以外のなにものでもない。
 アメリカンな教育を受けてきた若者ほど、頭のなかはマニュアルだらけ。マニュアルがなければ仕事ができないと思っている。
 ボクは「フィジカル」が苦手なんて゛…つまり身体は駄目だけど、頭はいいということをいっているらしい。身体の弱いやつは知的作業をやらせても駄目だ、ということをいいきかせても無駄かもしれない。
 とにかく近頃はやたら英語を使いたがる。「…を「リスペクト」して、この仕事選びました」どうせディズニーか、ジブリ程度だろう。「私のテーマは、「プリミティブ」なアートです」原始的とか、素朴というと安っぽくなるとでも思っているのだろうか。
 なにげなく運動会の映像を見せられていたら、徒競走の先生が「レディ・ゴー」。思わずのけぞった。おいおい、それは「ヨーイ・ドン」だろうが。日本語もろくに読めない、書けないうちから、英語コンプレックスのママから塾へ行かされた結果が、このていたらく。江戸っ子の巻き舌ならいいが、テキサスの巻き舌はいただけない。
 日本の歴史にでも「インスパイアー」されて、正しい日本人になってほしい。無国籍な文化は世界中何処へ行っても軽蔑される、ということを良く知るべきだ。


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プロフィール

星野 和彦

Kazuhiko Hoshino

1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表

作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞


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