軽井沢ラブソング・アウォードが始まって10年がたった。企画の段階から数えれば12年かかっている。
100万円の賞金を設定し、音楽を愛する人から賞金かせぎまで、21世紀のラブソングを公募、発信できたら、といった企画だった。
常につきまとったのは、作品公募とファイナルのグランプリ・コンサート告知のパブリシィティだった。第一回はFMのネットで宣伝した。FMのユーザーは音楽愛好家が多くかなりの効果をあげた。のち広告スポンサーのためにTV広告に切り替えた。応募者のレベルがガクンと落ちた。TVというメディアの宿命だろう。最近ではネットによる告知を中心にしているが、マニュアックな間口の狭い感じになってきている。
昨年はフェイス・ブックによる告知を試みたが、上手くいかなかった。若年層から老年層まで40人近くいる実行委員のなかですらフェイスブックの可能性について賛否が別れた。人間関係の薄い大都市ならば実感できるフェイス・ブックのきずなも、田舎では素朴でよりダイレクトなふれあいがあるため「ご招待」も「いいね」の表示もウソ臭く感じてしまう。
さらに毎回問題だったのは、ヴィジュアル・イメージのデザイン。始めから地元デザイナーの力を借りて、ポスター、チラシの制作をしたが、なかなか催事イメージの定着に繋がらなかった。どうしても類型的なデザインになってしまう。
そこで最近はハートのモチーフに限定したところ、ようやくイメージに連続性と個性がみえてきた。それでもヨーロッパのデザインと何かが違う。デザイナーたちは、フリーハンドでハートを書かず、ネットから持ってきたり、イラレで機械的に作業するためどうしても作品に人間の匂いがとぼしくなる。そうした問題点を克服しながら、なんとかたどりついた第十回の軽井沢ラブソングアウォードだ。
ハートをデザインする
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プロフィール
星野 和彦
Kazuhiko Hoshino
1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表
作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞
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