ハツウマの信仰

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 今でも花街では、土産に「助六寿司でも…」といわれることがある。歌舞伎助六縁之江戸桜に因んで、助六の愛人揚巻を洒落のめした稲荷と巻寿しの組合せだ。
 稲荷はキツネの好物であるところから、初午の日に全国でたべられてきた寿司のロングセラーだ。
 奈良時代京都の伏見に始まったと伝えられる初午の日の信仰だが、稲作に頼って暮らしていた当時、豊作祈願の稲荷社は有難い神様であったに違いない。
 2月はじめの午の日、ハツウマと慣れ親しんで色々な行事をしてきた。
 隣の御代田では等身大の藁馬に巨大な一物をつけて、子供たちが道祖神の境まで引いた。豊作祈願と子宝祈願が重なっていた。
 お社では南の佐久岩村田に鼻顔稲荷社がある。
 湯川の流れにそった岸壁にへばりつくように建っている。京都清水寺の懸崖造りに似た稲荷大伸なのだ。遠くから望むと6段7段と赤い柱が組み上げられ、岩を伝って赤い鳥居が列をなし、なかなか風情のあるお稲荷さんである。
 去年の4月には風で屋根が飛び、神官が祝詞をあげている畳が宙に浮くという大事件があった。以来改修工事を進め、朱塗りの見事な社殿がこのほど復活した。400年ほど前に、京都の伏見稲荷大社から勧請した素性正しいお稲荷さんなのだ。
 この日岩村田から一キロ以上の露天が連ね、東信最大のまつりとなる。
 目の前の湯川の河原には10メートル四方にも及ぶお札やダルマがうず高く集められ、寒風のなかでのお焚上げ放焼祭となる。
 回廊を見上げると、かって書芸、武芸を奉納した庶民信仰の記録が残り、暮らしのなかのお稲荷さんの位置が読み取れる。
 今夜はつるやの稲荷ずしでも食べ、せめてもの供養にしよう。


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プロフィール

星野 和彦

Kazuhiko Hoshino

1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表

作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞


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