ハゲの聖地 世界一をめざして

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 津軽・五能線五所川原のとなりに、鶴が大きく羽根を広げたかたちの陸奥鶴田駅がある。一日の駅利用客は200人前後。
 リンゴ園、ブドウ園、そして田んぼ、民家はちらほらとあるが、主役はうしろの岩木山である。
 その人口一万前後の田舎町鶴田が頑張っている。
励ます会のぼりはた.jpg  はげ有多毛.jpg
 「ハゲの光は平和の光、暗い世の中明るく照らす、……ツル多はげます会」 ハゲをポジティブにとらえ、心から楽しみ、ハゲを通じて世の中を明るく照らす平和活動を展開している。いずれはこの鶴田町を「ハゲの聖地」として世界一をめざすというから頼もしい。
 北津軽のハゲのおじさん達は、ユーモアに富んだ実に楽しいおじさん達、津軽独特の暗さはまったくない。
 新春の有多毛(ウタゲ即ち宴)、夏の有多毛、中秋の有多毛などパーティなど度々開いてハゲコミュニケーションの充実を計り、ハゲ・アワード2024、バゲ川柳大会、ハゲに吸盤を付けて引っ張り合う「吸盤綱引き大会」などなど、ハゲにまつわるイベントを次々に発して、まさか後期高齢者の集まりとは思えない元気ぶり。ハゲた老いを楽しんでいる。
 「けがなし」に因んで作られたケガナシ地蔵さまは、まだお堂を作るとこまでいかないので、鶴田八幡宮の社務所に仮安置されている。
 ハゲの聖地づくりは着々と捗り、出て行った若者たちに変わりインバウンドのハゲさん達が押し寄せる日も近い。
鶴田長い橋.jpg 鶴の舞橋2.jpg
 町内には日本最長の木造橋300メートルの三連太鼓橋「鶴の舞橋」というバエル名橋もあり、ハゲ、岩木山、りんご、ぶどうと共に町つくりに頑張っているのが、津軽の果ての鶴田町である。


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プロフィール

星野 和彦

Kazuhiko Hoshino

1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表

作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞


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