ハゲの聖地をめざして

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 ”違うだろーっ!このハゲッ!!……ヒステリックな女性政治家の声がテレビから流れるたびに、陸奥鶴田の町を思わない訳にはいかなかった。
 鶴田町は「ハゲ」という侮蔑語がいつか「HAGE」という横文字になって世界に通用する日を夢見て活動している。前町長の肝いりで鶴田町が「ツル多はげます会」をつくったのは、1989年だった。なにもないこの北津軽の町を元気な街にし、名勝とするにはと知恵をしぼったのが、このハゲの聖地というスローガンだった。
 ハゲを隠している人は鶴田にはいない。ハゲてる人は威張っている。隠していた人もここへきてカミングアウトする。思わず心のカツラまではずしてしまうハゲのパワースポットこそ、この津軽の小さな町なのだ。
 子供たちは学校で家のオジイチャンやお兄ちゃんのハゲップリを自慢しあう。ハゲは誇りになっている。
ハゲを街中で尊敬する、なかなか儒教的な町でもある。
 五所川原の仏師大佐賀界輝さんによつて彫られた「ケガなし(毛が無し)ご神体」は鶴田八幡宮に仮鎮座されている。いずれ海外のハゲの人々もあつまるようになったら「ハゲます神社」の創建も視野に入っている。
 ツル多はげます会の例会は、毎年2月22日で「ツルツルの日」と名付けられた。秋の中秋の名月にも大会は開かれる。ツルツルに光った頭に吸盤をつけて紐で引っ張り合う吸盤綱引き、穴からツルッとはげた頭をだして誰かをあてる平和の光あてクイズ、ハゲ川柳など、終日田舎のマスコミが殺到して町は盛り上がる。
 2016年からは河出書房により、記念のハゲ川柳が出版されるようになった。
  初日の出 拝んでみたら ハゲ頭      雪明り おらも負げねで 照らすがな
  ハゲ頭 ネジリハチマキ すっぽ抜け    ハゲの父 顔はどこまで 洗うやら
  ハゲっぷり いつも社長と 間違われ    ハゲなのに 胸毛やすね毛 無駄に濃い
  いつまでも あると思うな 親と髪           ……豊田真由子も歯がたたない!!!!!!


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プロフィール

星野 和彦

Kazuhiko Hoshino

1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表

作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞


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