最近はパリへ行っても「お帰りなさい」といわれ、昔とはだいぶ付き合い方が変わってきた。
初めてのパリでは、いきなりのモンマルトルだったのでせいぜいピガールの広場からサクレクールの丘、テルトルの広場、ルピックの露天市、そして丘のうえの風車巡りだったが、二回目のパリ辺りから、ガイド本に惑わされエッフェル塔に凱旋門、ルーブル宮からオルセー美術館と俗なパリとつきあってきた。
年齢を重ねるとともに興味の対象が変わり、ある時はパリのあちこちにあるジャンヌ・ダルクの像を検証したり、16区のギマールのアールヌーボー建築だけを取材したり、ガルニエのオペラ座とバスティーユのオペラ座を往復したり、アベスのジュテームの壁にこだわったり、とマニアックなパリを楽しんできた。
いまパリのストリート・ウォッチングでこっているのは、
モンマルトル、モンパルナス、ペール・ラシェーズの三大墓地、そしてパッシーの墓地、……ビゼー、ベルリオーズ、ショパン、ドビッシーの生きざまや、ピアフ、ゲンズブール、モンタンの変わらない人気、突然ニジンスキーの牧神の午後が生々しくポーズしていたり、ダリダの死の直前のヌード、サルトルとボーヴォアールの愛のカタチなど、墓には歴史と人生が詰まっている。
ベットー・カイエの丘のストリート・アート。ミスティツクの洒落たイラストから彫刻的なパロディまで街のあちこちにある。かってのパリ・コムューン発祥の聖地がアートの街になっている。
面白ついでにいえば、やはりあちこちにあるパサージュを歩くのもたのしい。時代屋から本屋、カン違いした日本のデザイナーのパリ店、小さなホテル、サロン・ドゥ・テ、ジャンクな衣裳屋、ところによってはいまでも娼婦の館などあって、この町のヒトビトの世界観がつまっている。
「パリの雨宿りはパサージュに限る」と信じている。
ハカバからパサージュへの興味
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プロフィール
星野 和彦
Kazuhiko Hoshino
1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表
作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞
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