久しぶりのノーベル賞に日本中が湧いた。いろいろなノーベル賞があるが、あまりリアリティーがない。
立派な研究に違いないのだが、吾々凡人の暮らしにはいまいちピンとこない受賞が多い。物理学賞にたどりつくまで、どれだけ多くの事象、実験を重ねてたどりついたことか。
理系人間にとっては、壊すことすなわち前進であるという。壊し続けるエネルギーこそ、世紀の発見発明にたどりつける。
LEDの父と言われているアメリカ人、ニツク・ホロニアック・ジュニア1962年の赤色LEDの発明以来、青色LEDにたどりつくまでの三人の物語は、凄まじいまでの破壊の歴史であったことが想像できる。
壊すことと、作り出すことが、表裏一体化しているのが科学の摂理なのだろう。
青色ダイオードの実用化以来、エジソンの光はすっかり追放され、夜の町は変わった。信号も変わったし、繁華街のイルミネーションも変わった。照明が変わるということは、舞台の演出技術も一新されるということだ。自然主義的な光から、よりメカニックな照明世界に導引される。クリスマスの飾りから、安っぽい豆球が追放され、ちかちかと煩かった夜がだいぶ落ち着きをとりもどした。テレビ、パソコン、ケイタイ、すべてにLEDが利用され、電力消費も改善された。
原発事故があっても、停電にならずにすんだのは、ひとえにLEDのお蔭とさえ言われている。
ノーベルはダイナマイトによって途方もない財をなしたが、破壊をコンセプトにした彼の財によって、人の暮らしの明日が表彰されるというのは、実に皮肉なこと。
ノーベルにはダイナマイト発明への贖罪の心があったのだろうか。
ノーベルのお詫び賞
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プロフィール
星野 和彦
Kazuhiko Hoshino
1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表
作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞
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