ノンモラル・東京難民

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 久しぶりに師走晦日の東京へ行った。
 軽井沢へ移り住んでから、年末年始は京都か軽井沢と決まっていたので、晦日の東京を訪れたのは何年ぶりのことだった。
 東京駅について驚いた。
 キャリー・バックをひきずる人の波に囲まれた。正面から親子3人ずれ、追い抜いていく中年男子、突如横から現われる姉妹とおぼしき女二人、逆方向から若いカップル、みな大小さまざまのキャリー・バックをがらがらと引きずっている。キャリーを引きずっているということは、三人前の道筋を占拠する。その上引きずっているバックには注意を払わず、横に流れようが、誰かの足にふれようがそんなことはお構いなし。混雑の人の流れには一切頓着せず、それぞれめざすホームに突進する。駅員さんが面倒をみているクルマ椅子も混雑に囲まれ、動きがとれない。人人人の波、東京駅混雑率200%。
 突如、赤ん坊が奇声をあげて泣き叫ぶ。間をぬって、「銀のぶどう、最後部はこちら」「東京カンパネラこちらでーす」お土産物の列を整理しているのは年末用女子特別アルバイトでもあろうか。一瞬そちらに気をとられていたら、レシーバーをかけ、スマホをあやつりながら歩いてきたブロンドの女性にぶつかった。ばっちりメークの女にきびしく睨まれ、思わず謝ってしまった。よく考えるとあちらが悪いのだが、スマホに集中し下を見ながら歩いている女の多さから、周りが注意しなければならないのだろう。
 やつとでホームに出たら、いきなり耳をつんざくようなホイッスルに襲われた。何事かとわが身を見回したが、理解できない。 ふたたびホイッスルが空気を切り裂く。まもなく発車の電車のまえで、ノウテンキにヴイ・サインで写メしている三人組の女への警告だった。 
 師走だから混雑は承知のうえの上京だったが、あまりのことにノンモラル「東京難民」の四文字が頭をかすめた。


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プロフィール

星野 和彦

Kazuhiko Hoshino

1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表

作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞


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