ニンゲンヲカヘセ!

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 東松山にある原爆の図 丸木美術館にいってきた。
 戦後、岡本太郎さんらと前衛芸術の道を歩んできた池田龍雄先生の展覧会を目的に埼玉まで久しぶりのドライヴだ。池田先生はとかく偏屈人の多い美術界にあって、いつも平静な笑顔をもって接してくれる貴重なアーティストだ。夏は軽井沢の隣にある御代田町のフゲン山落で過ごされている。
 福島から広がる視点1…蝕ー津波ー 壊ー原発ー 萌ー復興ーを主題にした作品を中心に、戦争や社会の歪みと、現代文明の抱えている問題が、見事にディスプレイされていた。
   場の位相 「都市」 
  科学が築いた 現代のバベルの塔よ
  メタボの文明 バブルの都市よ
  君らに必要な最良のカルテは これ以上太らぬこと できるだけ痩せることだ
  一世紀ほど縮んで 歩き回れる大きさになれ
  そうなれば安らぎ 素朴な安らぎが得られよう
 フクシマの原発に対して、核が暴れだし、人間が虫けらのように追い払われ、土地が奪われ、暮らしか壊され、作物も、牛も鶏も、犬猫さえも見捨てられた。だからいま声高に叫ばなければならない。
  ニンゲンヲカヘセ!  クラシヲカヘセ!   スベテノイノチヲカヘセ!
池田先生のイノチの叫びが、心をうつ展覧会だつた。


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プロフィール

星野 和彦

Kazuhiko Hoshino

1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表

作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞


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